生活道具屋surou n.nについて
”少しだけ贅沢な暮らし”がsurouの目指すところ。
毎日の暮らしの中に、ほんの少し、自分のお気に入りのディテールが有るだけで、少しだけ贅沢な気持ちになれるもの。それは、照明だったり、コップだったり、お財布だったり。見栄や虚勢でなく、本当の自分が気に入れる物。そんな+αのディテールを持っている商品をsurouは揃えたいと思います。それこそが、生活の道具だから。
“surou” begins
2005年9月、「生活道具屋surou tsukishima」がオープンしました。もんじゃ焼きで有名な街、東京中央区の月島、西仲商店街に接した路地の、8坪ほどの小さな店です。しかも間口が2mほどのとても目立たない店です。東京では有名な大手のファッションをメインにした専門大店チェーンのM社に努めていた2人が退職後に起こした会社SALコンサルティングが管理運営しています。
月島で、細々と何とか頑張って来て、その経験とノウハウを活かし、満を持して2008年1月に、これも中央区の下町、日本橋人形町に2店舗目の「生活道具屋 surou n.n」がオープンすることになります。このn.nは15坪と月島店の2倍近くで、場所も新大橋通りという大きな通りに面し、「安産祈願」で有名な「水天宮」の目と鼻の先にあり、しかも「リガーレ日本橋人形町」という39階立ての人形町一高い建物の中の店で、中々の好立地と言える場所です。月島店でお世話になっている人がn.nに来て、相当な勢いで驚く姿を僕らは何度も目撃することになります。
The name of “surou”
よく店の名前を聞かれます。オープンした2005年当時,スローライフ、スローフードなどがキーワードとされていて、僕らの店も「あまりせかせかとやりたくないし、かといって、あまりのんびりしていると大丈夫ですか?なんて思われるのもどうかと、だったら名前に「スロー」ってつけちゃえば、だってスローだもんって言える。」そんな思いが起点です。だけど「スロー」だとどんぴしゃすぎるので、そこで昔読んで、好きな本に「中国行きのスロウボート(村上春樹)」というのがあり、内容はほとんど忘れていたにもかかわらず、その「スロウボート」というのがなぜか耳に残っていて、そこから「スロウ」を持って来て、ローマ字にして「surou」を店名にしました。
で、それだけだと何を売っているかわからない。だから「生活道具屋」というサブタイトルを付けたんですけど、本当はこの「生活道具屋」の方がずっと前に決まっていました。「インテリア」「雑貨」の店をやるなら、この名を使いたいと思っていました。どこか懐かしい感じとそれでいて新鮮な響きがあり、何でもありで汎用性が効き、しかもこんな漠然とした名前を付ける店も珍しいなと思ったのが理由です。
The town with “surou”
そもそも何故、月島?人形町?となりますよね。suroの2人のうち、男の方、つまり僕ですが、中央区の人形町生まれで、実家は今のn.nの場所で食堂(あつみや食堂といいました。)を営んでいました。しかも開業当時住んでいたのが「中央区八丁堀」で、やはり店やるなら中央区、と最初から決めていました。子供の頃の記憶(1970年代)では、家の回りには多くの個人が営む商店が軒を連ね、人形町商店街以外にも活気が溢れていました。洋食器屋やら、靴屋、時計屋、鞄屋、布団屋、電気屋、プラモデル屋、駄菓子屋等も存在し、街に多様性がありました。それが最近では、その商店の多くが、オフィスビルに変わり、会社員と、店は飲食かコンビニばかり(あと歯医者)、しかも大半は「チェーン店」、という街に様変わりしていました。これはなにも人形町に限らず、東京では「飲食店以外で、個人、もしくはその範疇が営む狭小店舗」は年々少なくなる一方だと感じていました。大手の小売店の経験を経て、色々商売、経営の勉強をする中で(僕は中小企業診断士の資格を会社退職後取得しました)、街が魅力的になるには、多様性が重要で、中でも個人が、其処に暮らしながら、店を営む、そんな形態の店こそがキーファクターとなると感じるようになりました。父親と母親が其処で働き、その子供が其処で遊ぶ。しかもずっと変わらずに。自分の店だから、一所懸命がんばり、やがて街にとけ込んで来る。行き交う人と会話生まれる。次第に街に活気が戻り、更に様々な種類の店が増えて行く。昭和中後期、バブル以前の形ですけど、ものすごく自然です。誰かが経営する、誰かの店ではなく、○○さんの店。それこそが楽しい街の決め手。そんな仮説を実践してみたかったのです。
surouの始めの店、月島はとても面白い街です。ここ15年ぐらいで「もんじゃ焼き」という特徴が認知され、今では広域から多くの集客が出来ています。しかも、隣接の佃、勝鬨と合わせ、多くの高層マンションが林立し、新たな住人が急激に増加しています。それでいながら、大戦での戦火を免れ、昔ながらに残っている場所も多く存在しています。縁台に緑が溢れ、家の音や明かりが感じられる、狭い路地裏、そんな風景が今も見られます。新しさと古さが同居し、イイ感じに折り合いを付けている街です。
一方、新しい店の人形町は奥の深い街です。先述したようにオフィス街として拡大しつつある一方で、甘酒横町を擁する人形町商店街には今も多くの老舗が残っています。親子丼で有名な玉ひで、鯛焼きの柳屋、洋食の芳味亭などなど数え上げたらきりが無いくらいあります。戌の日には妊婦さんたちが“押し寄せる”街でもあります。地下鉄も日比谷線、浅草線、半蔵門線が交差し、足の便もよく、銀座、渋谷、新宿どこに行くも30分かかりません。そんなところに目を付けた人たちが新たな住民として増加し始めています。
どちらも新たなチャレンジをするにはやりがいのある街なのです。
The design of “surou”
surouの店づくりはDIYが基本です。商品や、特別な技術、設備が必要な事以外は自力で行うことを良しとしています。これは「お金の節約」という大事な使命と、「店に対する思い入れを強める」ことが理由です。月島、人形町とも店のデザインから、内装材の選択、床や壁の塗装、什器、看板の製作は全て自分たちで行いました。時間はかかりましたが、その作業は辛いながら楽しさに溢れ、いわゆる「学際前夜の高揚感」を今も味わえるものです。深夜までかかる、その作業期間中は店の宣伝にもなりますし。だいたい、まったくそんな大工経験も皆無だったのですが、月島のときに、不動産屋の紹介で知り合った岩井さんという施工屋さんから色々教わりながら手探りで仕上げ、人形町ではその経験を活かし、結構手慣れた感じでやり遂げたものです。その後も必要に応じて棚や什器を加えたり、塗りを変えたりして、腕が鈍らないようにしています。
そんな手作りの、surouの店舗の最大の特徴としては「足場板の床や棚、テーブル」が見所です。「足場板」というのは建築現場の高所作業で使われる板材で、何年にもわたり使い回された杉板です。使い古し感が有り、ペンキ跡なども随所に残り、とても味わい深い木材です。その足場板と組み合わせているのがモルタルの床です。特に人形町店はスケルトンのままの床部分があり、ところどこ工事作業時のメモが書かれたままだったり、これもいい味だしています。手作り感と、使い古し感溢れる店内は何処か懐かしく、落ちつける空間です。
Tools for small luxury life
最初、月島を始めた時、店は本当に「スカスカ」でした。今思うと「よくこれで!」のボリュームでした。当時の月島は今のアイテム数の四分の一ほど。開店時は「後藤照明」「能作の錫器」「江戸木箸」「苔玉」「川鍋さんの木の器」「和紙照明」「剣持勇のsasa」です。その後、「スガハラガラス」「左藤玲朗さんの硝子」「長峰さんの器」「森田さんの和紙」「げんろの黒鉢、手拭い、器」「古物の瀬戸物」「品品の景色盆栽」を加え、更に「薫寿堂のお香」「アグロナチュラ」「m+」「makoo」「solxsolの多肉植物」「和ろうそく」「lamps」が追加されました。最近では「二宮一司さんの数寄炭」「バブーシュ」「河上智美さんの硝子」「猿山修さんの洋食器」などを始めています。少しずつ、ゆっくりと様子を見ながら加えて、この規模の店としてはバリエーションがあり、中々豊富な品揃えになりつつあります。振り返ると、どれも作り手の思いや顔が見えて、どれも魅力的な物ばかりです。
中には「縁」を感じざる得ない物もあります。「solxsol」や「川鍋さん」は会社が当時の僕の住んでいた八丁堀の家のすぐそば(徒歩15秒)にあり、そこで開かれていた展示会を目撃した事から取引の話がはじまり、「スガハラ」は僕が会社時代にバイヤーとして仕入れていた取引先の当時の担当者が現在専務をしている会社で、「makooさん」は月島在住の方で、アトリエへの通勤途中にsurouがあり、そこで知り合いました。そのMakooさんのアトリエを訪ねた時に、同じ施設に工房を構えていた村上さんを紹介してもらいました。また、二宮さんも佃在住で、surouによく足を運んでもらう中で、「数寄炭」が産まれてきました。アグロナチュラは僕の奥さんの会社勤めの頃の同僚が、アグロナチュラの立ち上げメンバーで、その縁で取扱いを始めました。そんな感じなので、これからも色んな「縁」を大事にして品揃えを魅力的にしていきたいと思います。
緩くてこそ・・・
surouは「誠実さ」を大事にしています。超少人数で運営しているので、迂闊な事が合ったり、行き届かない事があるのも事実ですが、「正直に、真摯にお客様に向き合う」ことを肝に命じて日々の営業に向かっています。その一方で、「お客様は神様」的な考えは持っていません。「お客様」と「surou」は同じ人間で、どちらが偉いとかではなく、あくまで対等だと思っています。僕らは一生懸命、いい商品を見つけ、それをしっかり伝える。お客様はそんなsurouを見つけてもらい、理解、支持していただく。そんな関係を作り上げたいと願います。なんでもかんでもお客様の要求に応える、無理難題でも対応するというのは安易なやり方で、それでは店に品が無くなるとも思います。店とお客様と「大人」で「大らかで」で「微笑ましい」関係がsurouの目指す店です。だからこそ、surouのテーマは「緩くてこそ・・・」なのです。僕らは、ただただ、自分たちが「こういう店がうれしい」と思える店を目指しているだけなのです。(2009年 5月)
追記:surouの一号店「生活道具屋 surou tsukishima」は2015年5月に閉店しました。ちょうど子供が産まれ、夫婦2人の1店1名体制が維持できなくなったため、やむなく店を閉めました。